東京から沖縄へドクターヘリと離島医療の道
救命救急医のステップアップとして、ドクターヘリと離島医療への憧れが強まっていたころ、ご縁があって沖縄へと移住し、その道へと進むことになりました。思い出すのは、ネパールでCT やレントゲンのない診療所で1人闘っていたプレムの顔です。
東京にいたころとは違って超重病患者が運ばれてくる機会はずいぶんと減りましたが、救急ヘリの要請があると、現場の緊張感はピークに達しました。無線から、単語の羅列のような要請がものすごいスピードで流れ、患者さんの年齢や性別もわからないこともあれば、どんな様子なのか、何があったのか、詳細も知らされないことも多い。
それでも、少ない情報で瞬時に判断し、必要な機材を持って、現場に向かわなければなりません。海の危険生物に刺された少年、浜辺に打ち上げられた人、滝つぼから落ちた外国人、肺炎のおばあさん…たくさんの人を診ました。そこで感じたことは、かぎられた中でやるしかないし、できることを模索するしかないのだということ。
旅に出ていたころは「医者は、医療機器がなければ無力だ」と思っていたけれど、そんなはずはない。何かできるはずで、「そこに医者は私しかいないのだから、私がやるしかないのだ」と。
思い返せば、旅で得た経験は、すべて救命救急医になるために必要なものだったように思います。
私が医者として働く理由を旅は強くしてくれた
患者さんだけではなく、医療チームとのコミュニケーション、外国人を相手にしても物怖じしない語学力、ER(救命救急室)に自分しかいない状況下での決断力、忍耐力、順応力、好奇心、サバイバル能力…数えるとキリがないですが、これは医者にかぎらず、人として生きて いく上で大切な力。
旅に出て、自分のすべてを磨くことができたと思っています。「3年間の旅に、何の意味があったんだろう」「もしかして夢だった んじゃないか」とすら思った世界一周の旅は、やはり私の人生の宝物です。
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今回ご紹介した倉崎憲さんは、研修医が終了したタイミングで世界一周の旅に出ました。日本のように清潔で設備が整っている場所ではなく、医療器具もままならない場所で医者として住民を診ている人がいることを知り、自分でできることを全力で行う勇気を旅からもらったそうです。
旅はこれまでの固定観念や自分の中にある概念を、様々な方向から壊してくれることもあります。いろんな方向から物事が考えられると、もっと自分に自身が持て楽になるのかもしれませんね。
中島侑子さんのエピソードの続きが気になる方はこちらをチェックしてみてください。