こんにちは!TABIPPO2015大阪スタッフの嵐(@arashitabi)です。僕はこの夏、初めて海外へ一人旅にカンボジアに行ってきました!カンボジアでの毎日は刺激に溢れていて、今まで自分が生きてきた世界がいかに狭かったかということを思い知らされました。カンボジアの人々は陽気で親切で温かくて、いい人ばかりでした。町も活気があってとっても居心地がいい国でした。しかし、こんな素敵な国であるカンボジアにも、悲しい過去があります。
カンボジアの悲しい過去、クメール・ルージュ
みなさん、「クメール・ルージュ」って聞いたことがありますか?ベトナム戦争が終わった1975年頃からカンボジアにて政権を握っていた政党のことで、指導者の名前から「ポル・ポト派」とも言われています。極端な原始共産主義思想のもと、国民の大量虐殺を行い、3年9ヶ月の間に170万もの人々が犠牲になったと言われています。なんとこれは、全国民の5分の1もの数です。
クメール・ルージュによる虐殺の現実
クメール・ルージュはまず初めに、農業を国の産業にすると言って都市部の人々を農村部へと移住させました。人々を農業に従事させ、食料不足を解決するためです。そして次に、英語を話せたり文字が読める知識人を、国内から全員根絶することを目指し、様々な理由で処刑しました。他にも、反体制派の人を見つけたら密告するようにと密告制度を設ける等、クメール・ルージュに反抗する可能性のある人は大量に殺されました。