「出来ない」言い訳を辞めたら、ぼくの人生の幅は宇宙のように広がった

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こんにちは、KOH(@Luck81O)です。

幼い頃に溺れたことがトラウマで、海が嫌いになり5mも泳げなかったぼく。旅をする中で、世界中のビーチで時を過ごしましたが、海に入ることはほとんどありませんでした。

ぼくは「泳げない」「海は嫌い」と言い続け、海で戯れ合う友人を遠目に、撮影役に徹したり、ビーチハウスでスマホをいじっている人でした。

 

それに劣等感は全く感じず、それはぼくにとってベストなビーチライフ。海に入ったところで何が楽しいかはわからないけど、そんなシーンを何度も繰り返す中で、「出来ない」ことを言い訳にトライすることを諦めている自分に、なんだか心の奥につっかえるものがありました。

確かに興味はないことですが、「もしかしたらやってみたら楽しいんじゃないか?」そんな微々たる好奇心が引き金となり、ぼくは様々なことにトライしたのです。

 

走るのは嫌い。疲れるから。

運動が嫌いなわけではないのですが、同じ1kmを走るにしても、ただランニングするよりボールを追いかけて競技した方が100倍楽しいと自負していました。しかし、世間のランニング人口は増える一方。

興味があることにトライする人は多いけど、興味のないことにトライする人は数少ない。「興味のないことにトライしない」ということは、自分の幅を狭めていることに他なりません。

興味のあることだけ追って生きていくなら、人は20歳にでもなった時点で興味の幅と同様に、自分の幅が決定します。ぼくはそんな知れた人生は御免です。

もっともっと外の世界に飛び出して、人生を旅したい。

 

「自分の幅が決定すること」、それは例えば日本に生まれて、生まれた街で一生を過ごすくらい窮屈なもの。

隣町に自転車を漕いだり、上京してみたり、海外に旅してみたり。どんどん外の世界に幅を広げていくと、それは知性の幅となり、人生の幅となります。そして、旅をやめない限り、その幅は決まることなく永遠に広がり続ける。それはまるで宇宙のように。

そうして僕は興味の幅の外壁を壊して、そして広げ始めました。

 

「走るのは嫌い、疲れるから」極端にその逆を遂行しようと、エントリーしたのは「沖縄100kウルトラマラソン」。走るのが嫌いどころか、ハーフマラソンも未経験でしたが、突如として100kmのウルトラマラソンにエントリーしました。

それからというものの、生活の合間を縫って毎日10〜20kmのトレーニング。3ヶ月と言う極めて短い期間で作り上げた身体は悲鳴を上げ、右膝の負傷で階段もまともに登れないほどに。それでも、ぼくは沖縄へ飛び、大会に出場しました。

結果は90km地点でタイムアウト。興味のなかったことを全力で遂行しましたが、それでも興味はありませんでした。

美しいエンディングにならなくてすみません。でも興味あるか興味ないかなんて、全力でやった人にしか分からないんです。何もしてない人の「興味ない」は、興味の有無を判断するステージにすら立てていません。

3ヶ月の練習で100kmの完走を目指す上では、「出来ないこと」を全力でやった結果、「出来ないこと」でした。

何もしていない人の「出来ない」は、興味の有無を判断するステージにすら立てていません。

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幼少期は北朝鮮首都平壌で立ちションしながら育ち、21才で最速の独立を果たしたフリーランスの美容師、世界中のストリートで髪切ってたり切ってなかったり。常に面白いことを探しています。

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