7月6日はメキシコを代表する女性画家、フリーダ・カーロの誕生日。波乱万丈な生涯でしたが、自分らしくいることを大切にした力強い生き方で、今なお、現代女性のアイコン的存在であり続けている人です。
この7月6日前後の週末には、世界中で「フリーダ・フェスト」なるものが開催され、フリーダの生誕が盛大に祝われています。
今回は、フリーダ・カーロの波瀾万丈の人生から、私が参加したアメリカ南部で開催されたフリーダ・フェストの模様まで紹介していきたいと思います。
フリーダ・カーロって?
Photo by Courtesy of the V&A Museum
波瀾万丈な人生を送った情熱の画家として知られる、フリーダ・カーロ。画家としての類まれな才能はもちろん、その力強い生き方や、型にはまらない美しさから、本国メキシコのみならず、没後60年以上たった今でも、世界中から愛されています。
困難の多い、波瀾万丈の人生
1907年、7月6日、メキシコシティ近郊の街で生まれたフリーダ・カーロ。6歳のときにポリオに感染し足が不自由となり、さらに高校生のときバスの事故で瀕死の重傷を負い、生涯その後遺症に苦しむことになります。
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寝たきりの生活となった彼女は、アーティストであった父親の勧めで、絵を描き始め、その才能が開花。その後、奇跡的な回復をするも、生涯で30回以上もの手術をし、常に痛みと死と隣り合わせの人生を送りました。
22歳のとき、21歳年上のメキシコの英雄的な有名画家である、ディエゴ・リベラと結婚。結婚生活の中で、フリーダは数回の流産やディエゴの度重なる不貞に苦しみ、1度は別離するも、その後復縁し、生涯彼を愛し続けました。
晩年は、片足を切断し、47歳の短い生涯を閉じましたが、その生涯で143点もの傑作を残し、当時から高い評価を得ていました。
自分らしくいることを大切にした、力強い生き方
今では美しい女性像として語られているフリーダですが、実は彼女はことごとく当時の「女性の美しさ」の基準に反していました。
500ペソ紙幣に描かれるフリーダ:photo by shutterstock
男性的な象徴である、眉毛や口ひげ、脇毛を剃ったりせず、むしろそれを強調していたり、家族の記念写真では男装してみたり。煙草を片手に、男性たち相手にどちらが多く飲めるかを競うテキーラ・チャレンジをしたり。
ファッションに関しては、当時の女性がみんなタイトなドレスを着ている中、フリーダはロングスカートと鮮やかな色彩のルーズなシャツを身に着け、髪には花や布を編み込む、オンリーワンな着こなしを楽しんでいました。
フリーダ・カーロ美術館に展示された衣装:photo by shutterstock
恋愛面では、ことごとく彼女を裏切る夫を、最期まで愛し続ける、情の深さ。一方で、夫の不倫相手の女性と恋に落ちたり、亡命してきた画家たちと自らも恋に落ちたりと、こちらも型にはまらない、オンリーワンな結婚形式。
芸術面では、多くの女性が直面する「生」をテーマにした絵を描きました。 フリーダの作品には、当時タブーとされていた、不妊症・中絶・流産・出産・母乳育児・男女平等をテーマにしたものが多くあり、女性たちがそれまで声にあげることのできなかったテーマに光をあてました。
そんな困難の多い人生の中でも、決して最後まで人生を諦めなかった生命力の強さ。その自由で、誇り高い姿と、強烈な個性を放つ作品に、世界中が虜になりました。
各地で行われているフリーダ・フェスト
没後60年以上を超えた今でも、各地でフリーダフェストが開催され、その生誕と功績を祝われています。どのフリーダ・フェストでも目玉となっているのが、「Frida look alike contest」。いわゆるフリーダのそっくりさんコンテストです。
会場を彩るのは、フリーダのトレードマークである、濃い眉毛・花飾り・メキシコのドレスを身にまとった人たち。思い思いの恰好に扮した、カラフルで笑顔いっぱいのフリーダさん達の姿には、こちらもつい笑顔になってしまうハッピーな空間です。
また、フリーダフェストでは、メキシコ料理のフードトラックや、メキシコ伝統舞踊にライブミュージック、地元アーティスト達のフリーダをテーマにした作品の展示・販売ブースなど、メキシコ文化を堪能できるのも魅力。
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新型コロナウィルスの影響で、今年は開催がキャンセルされてるところが多いですが、今後の旅行計画の参考にしてみてください。
テキサス州エディンバーグのフリーダ・フェスト
テキサス州南部に位置する、エディンバーグはメキシコ国境にも近くラティーノの人たちが多いため、フェスティバル中には本格的なメキシコ料理や、ダンス、ミュージックが楽しめます。
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