「人との関係って、どうしたら深くなるんだろう?」
ふと、そんなことを考えていた。
20代半ばに差しかかった私たちの年代は、優先順位も人それぞれだ。
家庭を持つ人、仕事に没頭する人、新しい挑戦に踏み出す人。
人生のフェーズがバラバラになるなかで、「人生を語れるような友人」を新たに見つけるのは、簡単じゃなくなった気がする。
だけど、そんななかでも——
一瞬の出会いがその後の人生を豊かにしてくれるような、そんな素敵な関係性になった友達もいる。
頭に浮かんだのは、旅中に出会った2人の友達だった。
ミラノの辺鄙なホステルで出会った彼
ホステルの前の朝市
3ヶ月にわたる長旅の終盤、イタリアのミラノに立ち寄った。「少し休めればいいや」と選んだのは、中心地から少し離れた小さなホステル。
正直、とくに何かを期待していたわけじゃなかった。
夕食の頃、共有スペースでぼんやりしていた私の耳に、日本語なまりの英語が飛び込んできた。まさかこんな場所で日本人に会うなんて!と驚いて振り返ると、彼も私に気づき、自然に日本語で話しかけてきた。
出会った日の夕食。多く作りすぎたのでお裾分けをした。
2ヶ月ぶりの日本語に、思わずほっとする。話してみると、彼も同い年。大学卒業から就職までの空白期間で、一人旅をしている最中だった。
「1泊ごとに場所を変えて、サッカー観戦と観光を組み合わせてる」と話す彼は、なんとも自由で、だけどどこか私と似ていた。
入社前の説明会も、卒業旅行も、家族の心配も全部置いてきて旅に出たこと。話を聞けば聞くほどいくつも共通点が浮かんでくる。
私が友人や家族から「そんな旅を思いついて実行するなんて、なかなかいない。」と驚かれた分だけ、目の前にいる彼も”同じ”に思えて仕方なかった。
たった数時間だったけれど、不思議と彼のことが心に残った。
帰国して1年後、旅好きの友人と開いたご飯会に彼を誘ってみた。会話の中でふと思い出して、「なんとなく来てくれる気がする」と思えたからだ。
再会した私たちはその後、複数人で国内旅行に出かけたり、定期的に連絡を取り合ったり、旅の延長のような関係が続いている。
あのホステルでの偶然の出会いが今でも続く関係につながっているのは、お互いに「自分の意思で旅に出て、あの場所を選んでいた」強烈な共通点があったからだと思う。
土砂降りのフィレンツェで出会った彼女
もうひとり、同じく3ヶ月の旅の中で出会った日本人がいる。
場所はフィレンツェのゲストハウス。私がキッチンで夕食の支度をしていたとき、後ろから「もしかして、日本人ですか?」と声をかけられた。
彼女は私が味噌汁を持っていたのを見て、日本人だと確信したらしい。そのひと言をきっかけにすぐに意気投合し、翌日は一緒に街を散策することにした。
雨の中、少しだけ堪能した蚤の市。
だけど翌朝、天気はあいにくの土砂降り。蚤の市に行く予定をやめ、近くのカフェに駆け込んだ。そこで始まったのは、延々と続くおしゃべり。
危ない目に遭った話、おいしかったご飯、出会った男の人の話、旅中のあるある。日本にいる友達にはなかなか伝わらないような細かい話が、全部通じる。それが何よりも嬉しかった。
閉店まで話し込んで、最後の夜に連絡先を交換。「また日本で会おうね」と言って別れた。
最終日には、2人でジェノベーゼを作った。イタリアが舞台のジブリ映画を観ながら晩酌をした。
それから2年。今も定期的に会って、旅だけでなく、仕事のことも恋愛のことも話せる大切な友人になっている。
きっとあのとき、雨のフィレンツェで感じたことや考えたことを、飾らずに共有し合えたからに違いない。
旅が教えてくれた”ご縁”の育て方
旅の出会いは一過性のもの、と思われがちだ。でも実際には、旅の後にも続く心地よい関係性に繋がることもあった。
私が出会った彼や彼女との関係は、普段は忘れがちな「関係を深めるヒント」が詰まっていた。
旅という限られた時間のなかだからこそ、共通点に目を向けて飾らない自分で相手と向き合おうとしたその姿勢は、日常でも意識次第でできることだし、人との関係を深めるうえで大切なことのように感じている。
2人との出会いを思い返して、ふとそんなことに気づいた。
当たり前すぎて忘れてしまいがちなことを、旅は時々、やさしく思い出させてくれるのだ。
旅のエピローグは、当時の自分では想像できないほどに長く、新たな物語をつくりながら続きそうだ。
All photos by Mari Takeda