編集部

こんにちは、旅を広める会社である株式会社TABIPPOが運営をしている「旅」の総合WEBメディアです。世界一周のひとり旅を経験した旅好きなメンバーが、世界中を旅する魅力を伝えたいという想いで設立しました。旅人たちが実際に旅した体験をベースに1つずつ記事を配信して、これからの時代の多様な旅を提案します。

この記事では、TABIPPOがつくりあげた最初の旅の本、『僕らの人生を変えた世界一周』のコンテンツをTABIPPO.netをご覧の皆様にもご紹介したいと考え、本誌に掲載している世界一周体験記を厳選して連載しています。

今回の主人公は、福田祥宏(当時21歳)です。

「世界一周」。それは、誰もが憧れる旅。でもその旅、夢で終わらせていいんですか?
人生最後の日のあなたが後悔するか、満足できるかどうかは今のあなたが踏み出す一歩で決まります。この特集では、そんな一歩を踏み出し、何も変わらない日常を生きることをやめて、世界中を旅することで人生が変わった15人の感動ストーリーを連載します。

 

\この記事は、書籍化もされています/

sekaiisshu_mainvisual-01

・福田祥宏(当時21歳) / 大学生 2011.12〜2012.9 / 257日間 / 30ヵ国

・世界一周の旅ルート

ペルー→ボリビア→ブラジル→パラグアイ→アルゼンチン→チリ→ベネズエラ→メキシコ→スペイン→セネガル→モーリタニア→フランス→ボルトガル→スウェーデン→ノルウェー→ハンガリー→ドイツ→イギリス→オランダ→ベルギー→イタリア→ルーマニア→チェコ→ポーランド→ハンガリー→ヨルダン→イスラエル→エジプト→インド→台湾

 

飛行機に乗って初めて見下ろした空は

大学2年の夏、初めて飛行機に乗った。カンボジア行きの飛行機の窓から、生まれてからこれまで、ずっと見上げてきた空を初めて見下ろした感動が焼き付いて離れない。

(空を上から見下ろすと、ここまで美しいものなのか)

一歩踏み出して、飛行機に乗るという選択をするだけで、こんなにも美しい景色に出逢える。逆に言えば、一歩踏み出さなければ何にも出逢えない。初めて飛行機に乗って、そんなことに気づいた。

 

僕は、よく言われる「意識高い系」の大学生だった。イベントをやったり、自分で団体を立ち上げたり。でも、知ってしまった。6畳部屋の中からでは、あの空は見下ろせない。大学の中だけじゃ、世界で感じたあの興奮には出逢えない。

抑えきれない、一歩踏み出した先にある世界への憧れ。

 

偶然読んだ一冊の本が、僕に世界一周という選択肢をくれた。キューバ革命の立役者チェ・ゲバラの南米放浪記『モーターサイクルダイアリーズ』。自分と歳の近い青年が世界を旅して、出逢う人々と関わる中で生まれる、どう扱っていいか分からない怒り、悲しみ、そして喜び。

彼が向き合った出来事や感情の生々しさに、舌を巻いた。

 

「自分を最大化させたい!」

何より彼は、苦しみながらも旅を通して、「自分を最大化」させていた。目的もアテもなく飛び出した青年が成長していく姿は、僕に「世界を見てみたい!」「知らない世界を見て、自分を最大化させたい!」と思わせた。

そう思い始めた頃、「世界一周プランコンテスト」なるものがあると知り、応募。そしたら、たまたま、優勝。40 万円の世界一周航空券をゲット。僕は、257 日間の世界一周の旅に出ることになった。

 

世界は、本当に繋がっていた

Friendship Bonding Relaxation Summer Beach Happiness Concept

photo by pixta

1ヵ国目のペルー。「おおーーー!スペイン語だーーーーー !!」

スペイン語で書かれた空港の看板を見て、大興奮。大学で専攻している言語が当たり前のように使われている。ただそれだけのことだけど、旅の始まりを強く意識した。

天空都市マチュピチュをはじめ、たくさんの絶景を見た。

 

2ヵ国目、ボリビアの首都ラパスの古本屋街。70 歳くらいのばあちゃんが営む店に入ると話しかけられた。

 

ばあちゃん「どこから来たんだい?」

僕「日本からだ」

ばあちゃん「そうかい。地震後の復興の様子はどうだい?あそこに大きなテレビモニターが見えるだろう?日本で地震が起きた時、ずっとあそこに映像が流れていてね。私は心配で心配でたまらなかった」

 

いつの間にか、ばあちゃんの目に涙があふれていた。

 

価値観のcollectionを壊してはつくる旅

こんな地球の裏側にも、日本を心配してくれる人がいるんだ。世界は、本当に繋がっているんだと肌で感じた。

こうして始まった僕の世界一周は、20 数年かけてつくってきた世界観や価値観のコレクションを壊してはつくる、そんな繰り返しの旅だった。

西アフリカの砂漠の国、モーリタニアでのこと。オランダ人夫婦が営む小さな宿に、僕は泊まっていた。彼らと酒を飲んでいると、ふいに飛んできた質問。

 

「君はアメリカが憎くないのか?」

彼「原子爆弾を落とされた過去から、君はアメリカのことをどう思っているんだ?」

僕(え、そんな質問をいきなり?)

あたふたしながら、なんとか絞り出した答えは、「前の世代の問題だから、僕から言えることはない」 なんとも無責任な言葉。その瞬間の宿のオーナーの表情を今でも思い出す。(前の世代の問題だから、で済めば、誰も苦労しないよ)そんな顔をしていた。

彼は、僕にそっぽを向くように別のトルコ人と会話を始めた。僕は彼らの会話にまったく入ることはできなかったが、会話の内容は、トルコのアルメニア人虐殺についての話だった。

 

ノルウェーでも、仲良くなった地元のおっちゃんに言われた。「僕は未だにドイツが憎い。君はアメリカが憎くないのか?」第二次世界大戦の際、ドイツがノルウェーに侵攻した過去に、未だに嫌悪感を持っているそうだ。

ヨルダン、首都アンマンにある「マンスールホテル」。そこには、ルアイというスタッフがいて、日本人に対する見返りを求めない「おもてなし」で有名な宿だ。本当は数百円かかる洗濯をタダでやってくれたり、飯に誘われてついていくと、そのまま奢ってくれたり。

そんなルアイと、宿にいたドイツ人と3人で話すことがあった。

話の途中で、ドイツ人がルアイにパレスチナの話題を振った。一通り話をした後、ルアイは僕に語気を強めて言った。

 

「日本人は何も理解していない」

portrait of young sad male

photo by pixta

「日本人がこうして、ヨルダンやイスラエルに たくさん来てくれることは嬉しい。でも、あまり言わないけど、みんな結局遊びに来るだけで、パレスチナが抱える問題のことは何も理解していない」

ムッとした。

僕「別に知らないわけじゃないよ」

彼「じゃあ言ってみてくれ」「どういう経緯でパレスチナが今に至って、何が問題なのか」

僕は口をつぐんでしまった。

「ほらな、この通りだ」

普段は穏やかなはずのルアイが、そう言って席を立っていく。悔しい気持ちと情けない気持ちが交互に押し寄せ、背中と顔に、ジリジリと熱が帯びていくのが分かった。

 

それから僕は、アフリカの西端に位置するセネガルの 首都ダカールに、約1ヵ月滞在した。

「よし、祈るぞ!」ドアからのぞいていた青年の喜々とした表情が忘れられない。

 

僕は相乗り長距離タクシーで隣り合わせたセリムという青年の家へ、彼の招きで転がり込んでいた。セネガルは、国民の 90% 以上がイスラム教徒の国だ。1日5回、礼拝を呼び掛ける「アザーン」が大音量で流れる。セリムの家は、アザーンが流れてくるモスクの近くにあった。

 

「いや、僕は祈らないよ」

事件は、2日目に起きた。昼頃、いつものようにアザーンが鳴り響く。するといきなり、部屋の扉がドンッと開いた。「祈ろうぜ!」セリムの弟が呼びかけている。嬉しそうな表情で、友情の証として僕を誘ってくれたのだ。しかし、僕の方は戸惑うばかりである。

「いや、僕は祈らないよ」

 

「お前は、祈らないのか?」

せっかくの誘いだったが、彼らが礼拝している様子も見ていたし、タクシーの中でさえ、礼拝ができない代替として熱心に数珠を数えていた。その姿を思うと、生半可に祈ることなんかできなかった。

「お前は日常的に祈らないのか?分かった。お前がムスリムじゃないのはなんとなく分かるが、じゃあ、キリスト教でもなく、仏教徒でもなく、お前は神への信仰を持っていないのか?」

編集部

こんにちは、旅を広める会社である株式会社TABIPPOが運営をしている「旅」の総合WEBメディアです。世界一周のひとり旅を経験した旅好きなメンバーが、世界中を旅する魅力を伝えたいという想いで設立しました。旅人たちが実際に旅した体験をベースに1つずつ記事を配信して、これからの時代の多様な旅を提案します。

RELATED

関連記事