編集部

こんにちは、旅を広める会社である株式会社TABIPPOが運営をしている「旅」の総合WEBメディアです。世界一周のひとり旅を経験した旅好きなメンバーが、世界中を旅する魅力を伝えたいという想いで設立しました。旅人たちが実際に旅した体験をベースに1つずつ記事を配信して、これからの時代の多様な旅を提案します。

この記事では、TABIPPOがつくりあげた最初の旅の本、『僕らの人生を変えた世界一周』のコンテンツをTABIPPO.netをご覧の皆様にもご紹介したいと考え、本誌に掲載している世界一周体験記を厳選して連載しています。

今回の主人公は、西側赳史(当時21歳) です。

「世界一周」。それは、誰もが憧れる旅。でもその旅、夢で終わらせていいんですか?
人生最後の日のあなたが後悔するか、満足できるかどうかは今のあなたが踏み出す一歩で決まります。この特集では、そんな一歩を踏み出し、何も変わらない日常を生きることをやめて、世界中を旅することで人生が変わった15人の感動ストーリーを連載します。

 

\この記事は、書籍化もされています/

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・西側赳史(当時21歳) / 大学生 2009.9〜2010.9 / 350 日間 / 19 ヵ国

・世界一周の旅ルート

香港→インド→ネパール→フィンランド→エストニア→フランス→イギリス→スペイン→モロッコ→エジプト→ヨルダン→イスラエル→エジプト→アルゼンチン→ボリビア→ペルー→エクアドル→コロンビア→アメリカ

 

ガイドブックのない、真っ白な旅

世界一周、前夜。人生の区切りだと、僕は両親へ手紙を書いた。「いってきます」を伝えた。

朝一番の便。香港へ向かう。携帯電話が鳴る。地元の親友からだ。メールが来る。大学の友達からだ。 空港の屋上には、ピンクのハンカチを振る小さな彼女がいた。電話越しに、「いってらっしゃい」と言われた。(生きて帰ってこなきゃダメだな)世界一周1日目は、僕にとって忘れられない日になった。

 

香港にはすぐに到着した。「ガイドブックなんていらねぇ!真っ白な旅がしたいんや!」 飛び出してきたものの、どこに行けばいいのか分からない。バックパックが重く背中にのしかかり、早速投げ捨てたくなる。

通行人に英語で声をかける。「エクスキューズミー!」怪訝な顔をされ、何語か分かんないけど何か言われて、僕の横を通り過ぎていった。宿は見当たらない。

 

しまった。最初の宿くらいは調べておくべきだった。本当にここがどこなのか分からない。そんな自分に失望しつつ、現地人で溢れかえった食堂的なところを見つけた。馬鹿でかい荷物をもった僕に、視線が集まる。オーダーに来たおばさんが、現地語で話しかけてくる。

「※が$&)’ &()’)あい0)え# ”」

目の前のおっさんが食べてるものを指さして、「くれ!」表情で伝えたら、ニコっと去っていった。目の前のおっさんが微笑んで、こちらを見る。(このスープ、旨いぞ)たぶん、そう言ってるんだろう。

 

さぁ、旅の初夜だ

香港の日は沈みだしている。始まったんだ、僕の旅が。これからどんな出会いがあって、どんな日々を過ごしていくかなんて想像もできない。先の見えない激動の一年間を考えると、ワクワクしてくる。

さて、今晩どこに泊まろうか。旅の初夜だ。

 

僕が世界一周に出た理由

Hike in Yosemite

photo by pixta

僕が世界一周に出た理由。それは、誰もしたことがないことをしたかったからだ。

高校時代、サッカー選手になるために強豪校に入学。でも、3年最後の全国サッカー選手権予選の決勝の日をベンチはおろか、僕はフィールドの外のスタンドで迎えた。

死ぬほど悔しかった。今でも悔しい。

 

(努力したって夢は叶わないんだ)

(自分は何も成し遂げれない平凡な人間なんだ)

 

そのまま大学生になった僕にはそれが何なのか、何をすればいいのか分からなかった。昔の夢に引きずられて、サッカーのコーチをしてみたり。過去の挫折が吹っ飛ぶような大きなことを探していた。

 

過去に引きずられた自分の足を 一歩でも前に進めたかった

(いつか、あのフィールドより大きな舞台で必ずスポットライトを浴びてやる!誰も見たことがない景色をいつか見てやる!)

当時、僕の周りに世界一周をした人なんていなかった。悩みながらも、あ、これだと。過去に引きずられた自分の足を、一歩でも前に進めたかった。僕にとって、その一歩が海外だった。

世界が僕にスポットライトを浴びせてくれると思った。

 

世界一周ってすごいことじゃないじゃん

だけど、旅を進めていくと気づいてしまった。(世界にはもう、どこかの誰かが歩いてつくってくれた 旅人のレールが敷かれてしまっている)

日本人宿に泊まれば、親切丁寧に書かれた「情報ノート」が置かれていて。お決まりのルート、お薦めの宿、レストランの情報…、ネットでも苦労なく、いろんな情報が手に入ってしまう。(そんな旅、2 番煎じどころか、100 番煎じだ)

 

僕が見たかったのは、誰も歩いたことのない道だった。誰かが開けた宝箱を見ても、何もおもしろくない。せっかく世界に飛び出したのに、また自分がありふれた存在のように思えて、悲しくなった。(なんだ、世界一周って凄いことじゃないじゃん)

 

そう思った僕は、僕にしかできない特別な旅をしたいと思い、世界一周中にいろんなチャレンジをした。スペイン語、楽器、ダンス、登山、似顔絵販売、インドのガンジス河を対岸まで泳ぎきったり…。

小さな挑戦が、どんどん自分の足かせを外していった。

何より僕に自信という名の種を植え付けてくれたのは、モロッコでの「輪投げ屋生活」だった。

 

モロッコ人から金を巻き上げてやる!

11 ヵ国目のモロッコで、僕は詐欺に遭った。広大なサハラ砂漠を14日間かけてじっくり周遊するという デザートトレッキングのガイドの料金を払ったのに、いざ砂漠に赴くと、トレッキングは3日で終わってしまった。

 

僕「なぜ帰ってきたんだ!まだ 12 日間あるじゃないか!!」

ガイド「3days, no more. Money for 3days.」

真顔で言われ、状況を把握した。僕はぼったくられたのだ、と。

 

自分の甘さと弱さを反省した。けれど同時に、モロッコ人、信頼ならん!キライや!という気持ちが沸々と湧いてきた。(絶対にここで、モロッコ人から金を巻き上げてやる!)

 

 

始めたのは、「輪投げ屋」

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photo by pixta.jp

旅人らしからぬ邪な思いを抱えて、僕はモロッコの中央都市マラケシュへ向かった。屋台や大道芸で賑わう広場に、蛇使いや音楽家…、独特の音楽と商人の客引きの声が響き渡る。(ここで日本の夜店チックなものをやれば、絶対稼げる!)僕は、ここで商売することを決めた。

 

何をしようかと迷った結果、「輪投げ」に行き着いた。ルールは簡単。並べたペットボトルに新聞紙でつくった「輪っか」が入れば、賭けた金額の5倍を返すというシステム。僕はモロッコの人々に、「このゲームは不可能ではない」と証明するため、夜な夜な輪投げの練習を宿の屋上で行い、十分に「輪投げ能力」を身につけた上で、開店した。

 

モロッコの民族衣装に身を纏い、広場へ向かう。僕は広場の空いたスペースにペットボトルを置いて、 その横に火を灯した蝋燭を並べた。周りの視線を痛いほど感じる。(あのニッポンジン、何をする気だ?)

 

やってやったぞ!モロッコ人!

ビビりながらも、僕は自前の新聞紙の輪っかを「1DH!!(約 12 円)」と叫びながらペットボトルに向け投げた。興味を持った現地人が集まりだす。何度か投げると、ペットボトルにうまく輪っかが入った。 「お前らもどうだ!」にやりと笑い、そう言うと、どっと現地人が流れ込んできた。やってもやっても失敗に次ぐ失敗を重ねるモロッコ人。成功すると、とびきりでかいガッツポーズをして、叫ぶ!それがまた、客を呼ぶ。

 

手に持った空き缶は、気づけば札束と小銭まみれになっていて、帰り道、「やってやったぞ!」と輪投げに来たおっさんと同じくらいでかいガッツポーズをした。

それからは、毎日広場で輪投げ屋の日々。

 

ハッサン(無職)、輪投げ屋に就職

ある日、「すごいね、人たくさん!」と日本語で 声をかけてきたモロッコ人がいた。その日は彼がアラビア語で宣伝してくれて、売上は上々。夜、彼と飯を食いにいって、いろいろ話した。

僕「名前なんて言うの?」

編集部

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