エピローグ|旅が教えてくれた「自由な生き方」のヒント
未知の世界に飛び込むことはいつだって勇気がいる。
「無事に家に帰ってこられるだろうか」「旅先での環境に耐えられるのだろうか」
──そんな不安が頭を巡り、家にいる安心感が恋しくなる。
特にザンビアへの長期留学を決意したときは、不安の方が大きかった。
遠い異国の地での生活に、自分が順応できるのか、正直自信はなかった。
それでも、未知の世界に足を踏み入れることを決めたのは、自分の目で見て、自分の心で感じる経験が何よりの学びになると信じていたからだ。
教科書や画面の中ではわからない、生きた世界に触れたかった。
ザンビアに到着した日、予想以上の強い日差しに圧倒された。
空港を出て車に乗り、広い荒涼とした大地に引かれた一本道をただひたすらに進んでいく。
ザンビア首都ルサカの空港を出ると広がる景色
初めて見るアフリカの大地にどこか心躍ると同時に、無力感を感じた。周りに何もなく、ただひたすらに続く乾いた大地と空。それはどこか自分の内面とも重なる景色だった。
それでも日本での慌ただしい日々を過ごす中で感じることのできなかった「何もない」という瞬間が目の前の景色の中にしっかりと存在していた。その景色が不思議と心を落ち着かせ、自由を感じさせてくれた。
日常の喧騒を忘れ、ただその場にいるだけで良いという感覚に、触れることができたようだった。
ザンビアで出会った、情熱に生きる人々
ザンビアでの日々は、新しい価値観を教えてくれる出会いの連続だった。出会った友人たちの多くは、日本の「普通」からはほど遠い生活をしていた。
7人で狭い部屋をシェアしながら、大学院を目指して勉強を続ける学生がいた。彼は「環境がどうであれ、学ぶことに情熱を捨てられないんだ」と1時間も僕に熱弁してくれた。
僕は彼を20代だと思っていたのだが、もうすぐ50歳になろうとしていることを知った時は衝撃で口がふさがらなかった。
大学に通う傍ら、自ら青空学校を立ち上げて地域の子どもたちに勉強を教える友人もいた。彼の夢は「子どもたちが夢をもてる自分の学校を作ること」。その情熱は言葉にしなくても目の輝きから伝わってきた。
ストリートチルドレンの施設で出会った子どもたちも同様だ。
つい数年前まで十分な食べ物がなく、薬物と隣り合わせの環境で生きてきた境遇を乗り越えて夢を語る彼らの姿には、強さと希望があった。
お医者さんになりたいと語る子もいれば、音楽の道に進みたいと作曲をしている子もいた。
環境が厳しい中でも、未来を信じて歩み続けるその姿は、僕に「自由とは環境に縛られることではない」と気づかせてくれた。
囚われた日常を超えて
日本で過ごしていた僕の生活は、一見すると自由で選択肢にあふれているように見えていたと思う。しかしそれは既存の「固定概念」「枠組み」に囚われたものだった。
進路の選択も、将来の展望も、「他人にどうみえるか」という枠組みの中で選んでいたものだった。
日本から何万キロも離れたアフリカの地に立つことで、僕はそんな自分の殻を破りたいという思いがあったのかもしれない。
ザンビアで出会った人々の姿が、それを思い出させてくれた。
彼らは物理的な環境や経済的な制約に直面しながらも、それを理由に諦めることなく、自分の未来を選び取っていた。
「自由な生き方」とは、すべてが整った環境で好き勝手に生きることではない。
むしろ、不確実で困難な状況の中で、自分の可能性を信じて行動し続けること。これにこそ、「自由のな生き方」の本質があるのだと知った。
一歩踏み出すことで広がる世界
旅の最初に抱いた不安や恐れは、決して無駄ではなかった。それらを乗り越えた先で得られるものは、予想以上に大きな発見だった。
旅先で出会った新しい価値観や人々との繋がりは、僕の視野を広げ自分の可能性や未来に自信を持たせてくれた。
これからも不安や恐れに直面することがあるだろう。
しかし、ザンビアでの経験が教えてくれたのは、自由な生き方を追求するには、まず一歩を踏み出すことが大切だということ。
その一歩が、未知の世界や新たな可能性への扉を開くのだから。
All photos by Moto