スマホの写真フォルダを遡っていると、ふと気がついたことがある。
それは、鉄塔の写真が多いということ。
どこにでもあるものなのに、街角や旅先で見かければ、ついカメラを向けてしまう。なぜ僕はこんなに鉄塔が好きなのだろう。
鉄塔は、どんな場所や季節を背景にしても、常にそこに馴染んでいるし、同時に異物として紛れ込んでもいる。日常であり、非日常。その不思議な佇まいに、僕は惹かれているのかもしれない。
写真フォルダに並んだ鉄塔たちを眺めていると、その場所の空気感とともに、そのときの自分の状況や抱えていた思いが鮮やかに蘇ってくる。
今回は、そんな僕の旅の断片に残る、名もなき風景の話を書いてみようと思う。
夕暮れと鉄塔
北を目指した旅の朝で
大学の卒業旅行で、僕は友人とふたり、青春18きっぷで旅をした。
計画はほとんどなし。決めているのは、ひたすら北を目指すということだけ。
大阪から電車に乗り込み、東北へと向かう。
初日は福島で下車し、ネットカフェで夜を明かした。隣のブースから友人の寝息が聞こえるなか、僕は高揚感でなかなか寝付けずにいた。明日はどこまで行けるだろうか、どんな景色に出会えるだろうか、と。
しかし同時に、憂鬱な気分にもなっていた。
このとき、3月。実は僕は、まだ就職が決まっていなかった。
ひとつだけ内定の出ている会社はあったが、本当にそこでいいのか悩み続けていた。もうそんなことを言っていられる時期ではないが、心が決まらない。
旅を終えたら、また現実と向き合わなければいけないのか……。
そんなワクワクとモヤモヤが渦巻いて、その日はなかなか眠れなかった。
翌朝、まだ暗いうちに出発し、始発電車に乗り込んだ。電車はしばらく停車したままで、僕は睡眠不足の頭で何も変わらない車窓の景色をぼーっと眺めていた。
冬の朝の張り詰めた空気のなかに、やがて朝の光が差し込んできた。そこに浮かぶ、いくつもの鉄塔。それは幻想的な光景だった。
じっと動かず、ただそこに立ち続ける鉄塔の群れから、僕はしばらく目が離せなくなっていた。
それはいま思えば、行き先も将来も定まっていない自分の胸のうちを、その姿に無意識に重ねていたからなのかもしれない。
車窓から見た鉄塔群
ダージリンの霧の中
標高2,000メートルに位置する、インドのダージリンを旅したとき。
このときは三人で旅をしていたのだが、長旅の疲れと気圧の変化で、みんな体調を崩しがちになっていた。
そんななかで向かった、観光名所の「タイガーヒル」。
うねる山道をゆくタクシーに揺られ、ひどい車酔いに見舞われた。満身創痍で到着し、車を降りると、あたりは真っ白な霧に包まれていた。
晴れていればヒマラヤの絶景が拝めるはずだったが、数十メートル先も見えない。みんな口数が少なく、どんよりとした空気が流れていた。
ふと振り向くと、霧のなかに工事現場のような建物と鉄塔が立っていた。他に撮るものもないので、とりあえずシャッターを切ってみることに。
タイガーヒルの鉄塔
あとから写真を見返すと、その一枚が妙に印象に残った。
旅人の都合など関係なしに、無骨な姿で立つ孤高の存在。その佇まいは、上手くいかない旅の記憶そのものといえるのかもしれない。
だけど同時に、あのときのボロボロな僕らを思い出して、なんだかくすっと笑ってしまうのだった。
霧に包まれるダージリンの街
日本の最北・礼文島の海と空と
北海道の離島、礼文島で住み込みで働いていたときのこと。
日本最北の離島である礼文は、自然豊かで、美しい絶景が広がる島。しかし、せっかくそんな景色のなかにいたというのに、このときは勤め先のオーナーとの折り合いが悪く、毎日が憂鬱だった。
唯一の息抜きは、仕事の中抜け休憩に、寮の裏にある海岸へ行くこと。
海をぼんやり眺めたり、ロシアから流れ着いたであろう漂着物を見つけたりして、のんびりと時間を過ごしていた。なかでも好きだったのが、丘の上に立つ鉄塔の姿だった。
夕暮れどきの一枚
空と海と山。最北の雄大な自然のなかで、まっすぐそびえる人工物。その姿をどうやってかっこよく撮ってやろうかと、何枚も何枚もシャッターを切った。
礼文島での生活を振り返ると、苦い記憶が多い。だけど、こうして上手く撮れた鉄塔の写真を見返すと、あの美しい島の風景にまた会いに行きたいと思うのだった。
大空に向かって伸びる