Auschwitz3
ライター
岩田壮 TABIPPO CARAVAN

広島出身、横浜在住。ビールと旅とサッカーを愛する26歳。ビールの本場ドイツが大好きで、旅先では必ずビールを探しに行く。 旅先の経験や情報をまとめられるよう日々奮闘中。

あなたが旅をする理由はなんだろうか?

私は日々の仕事の疲れを癒やし、仕事や学校などでは味わえない「非日常の」世界で新たな発見を行い、今まで気づけなかった何かを見つけることだろうか。

ところが、かつて人生を楽しむためでなく、戦争の最中で強制的に旅をさせられ、働かされた人がいた。

これを感じたのはポーランドのアウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所を訪れた時。

Auschwitz3
ナチスドイツによるユダヤ人を大量虐殺、いわゆるホロコーストが行われたことで有名な場所。当時の施設が一部保存されていて、歴史を語り継ぐ博物館となっている。学校の授業でどういう場所か何となく習っていたが、詳しく何があるのかは知らなかった。

私は3年前に訪れたとき、ここで何があったのか知り、旅をする意義について改めて考えさせられた。その時の事を振り返り、改めて旅をする意義について考えていきたい。

アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所とは

アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所はナチス・ドイツが第二次世界大戦中、ヨーロッパ各地に建設した強制収容所のひとつである。収容所は2つの大きな施設とその他周辺の複合施設から構成されており、第一強制収容所は、ポーランド南部オシフィエンチム市(ドイツ語名アウシュヴィッツ)に、第二強制収容所は隣接するブジェジンカ村(ドイツ語名ビルケナウ)に作られた。

これら2箇所のドイツ語名を合わせ、現在はアウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所の名前で広く知られている。

人種差別による絶滅政策(ホロコースト)および強制労働で多くのユダヤ人が犠牲になったことで有名だが、最初は政治犯が収容された。これ以外にも障がい者、同性愛者などの人々が収容され、毒ガスなどで犠牲になっている。戦後、1979年にユネスコの世界文化遺産に登録され、現在はホロコーストなどの「負の歴史」を伝える博物館となっている。

施設の案内

ここからは、日本人ガイドの中谷剛さんに案内されたなかで、特に私が印象に残ったところを紹介する。ガイドが始まるとすぐ目の前に現れるのが収容所への入口となるゲートだ。

AuschwitzGate収容所の入口
ここに書かれた文章は「ARBEIT MACHT FREI 」。ドイツ語で「働けば自由になれる」の意味だ。「B」の字が変わった形をしており、よく収容者がささやかな抵抗として上下逆さに配置したといわれるが、実際は当時流行っていた書体だそう。この収容所がどんな場所か表す一文だが、実際には収容者の多くは働いても自由になることなかった。

収容者の遺品

ゲートをくぐると、まずホロコーストの最初の段階、収容所に連れてこられた際の様子について説明を受けた。

ナチス・ドイツに捕まったユダヤ人は1台の貨車にギュウギュウに押し込まれ、収容所に連れてこられた。狭い貨車はおそらく日本の通勤電車よりも満員であり、衛生環境も悪い。何より、外から鍵をかけられているので脱出することなど不可能。収容所までずっと満員の状態である。

収容所に到着後。人々が持ってきた身の回りの品を、ナチス・ドイツがことごとく没収した。現在、没収された眼鏡や靴、鞄などは建物の一室に山積みにされている。

Bag&Shoes収容者から没収した靴・鞄
Prosthetic義手義足、松葉杖など
こんなことになるとはつゆ知らず、長年愛用していた宝物でも特別な日に着るための服も例外なく没収していた。義足や義手、松葉杖なども取り上げられ、身体障がい者は生活が困難に。そういう人々はどうなったのか。

当時の遺構のひとつ~ガス室~

先述の身体障がい者など、ナチスドイツが労働力とみなさなかった人々は列車の到着後すぐにガス室へ送られた。このときに、ドイツ兵からは「シャワーを浴びるから服を脱げ」と言われ、水が上から降ってくると思い込んだ人々の上から毒ガスが降ってきた。

このとき、ガス室にいた人は何を考えていたのなったのだろうか。騙されたという無念の思いを抱きながら亡くなったのだろう。このガス室は今でも残されており、ツアー中に見学できた。

Gas_roomガス室。写真上部の穴から毒ガスが撒かれた
運良くガス室に行かずにすんだ人々もひとつのベッドに2〜3人が横たわって眠る宿舎で生活し、朝早くから夜遅くまで強制労働させられた。

十分な量の食糧を与えられず、ドイツ兵からの厳しい仕打ちを受け、多くの収容者が命を落とした。

Workss強制労働の様子
ただ、ドイツ兵だけが収容者に危害を加えたのではなく、収容者の中でもドイツ兵に気に入られた者は、監視をする立場になっていた。つまり、収容者の大規模な反乱を防ぐため、収容者同士で争うように図ったのである。

このような日々は1945年1月にソ連軍が収容所を解放するまで続いた。

命があるから旅ができる

今回、収容所の見学を振り返ると、命があるからこそ旅ができると気づかされた。また、収容所で亡くなった人々の無念さを考えさせられた。収容所ではろくに食事を与えられず、まともな防寒着もないという過酷な環境下での強制労働。それが3~4年続いた。

私は同じ環境に置かれたとして耐えられるだろうか。おそらく途中で脱落して命を落とすだろう。

Death Wall脱走しようとした人々はこの壁で射殺された。いわゆる「死の壁」。
さらに、旅人の視点から収容者は強制的に旅をさせられていたのではないかと考えた。

アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所に送られた人々は普段の暮らしをする中で突然、ナチスドイツに捕えられて収容所にきた。自分たちが好むと好まざると強制的に長い距離を鉄道で旅させられた。最初の時点で収容所行きを拒否したらその場で殺された。

POLAND1収容者はこの辺りで貨車から降ろされた。
旅は非日常。それは時に我々に幸福を与え、時に我々に不幸をもたらす試練を与える。財布やスマホを盗まれること、ぼったくりに遭うこと、色々な危険を伴う環境の中、一日で色々な選択が要求される。

時にミスをして取り返しがつかない場合になるが、いつしか旅人はそれを笑い話に変えられる。

でも、死んでしまっては元も子もない。旅のトラブルは単なる思い出話でない問題になる。旅の中で人々の尊い命が奪われてはならない。ましてや、どういう民族による優劣などなく、一方的な考えによって罪のない人々が犠牲になることがあってはならない。

MonumentPeace各地の言葉で平和を祈るメッセージが置かれている
現在、私たちはお金と時間さえあれば世界中を自由に旅できる環境に生きている。しかし、世の中には旅をしたくてもできなかった人がいたことを忘れてはならない。

かつて人類が起こした恐ろしい出来事の数々を忘れては、将来旅ができない世界になるだろう。

過去の歴史から学び、恐ろしい出来事を忘れないため、私は旅をするのかもしれない。

■詳細情報
・名称:アウシュヴィッツ・ビルケナウ博物館
・住所:Więźniów Oświęcimia 55, 32-600 Oświęcim, ポーランド
・地図:
・アクセス:Krakow Central Bus Stationから高速バスで1時間半。バス停「Oświęcim Muzeum」下車徒歩約5分(運賃は片道20ズオチ)。
・営業時間:7:30~19:00
・定休日:不定休
・電話番号:+48338448100
・メールアドレス:tnakatani1966@icloud.com
・料金:90~120ズオチ(見学料、案内ツアーの言語により異なる)、15時以降はガイドなしで無料で見学可能。
・所要時間:ガイドツアーの場合、約3時間
・公式サイトURL:http://www.auschwitz.org/
※日本人によるガイドを希望する場合は上記のメールアドレスまで1週間前までを目安に連絡。
ライター
岩田壮 TABIPPO CARAVAN

広島出身、横浜在住。ビールと旅とサッカーを愛する26歳。ビールの本場ドイツが大好きで、旅先では必ずビールを探しに行く。 旅先の経験や情報をまとめられるよう日々奮闘中。

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